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99%の誘拐 (講談社文庫)99%の誘拐 (講談社文庫)
(2004/06/15)
岡嶋 二人

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::: サスペンス・ミステリ ::: ★★★☆☆


1989年版 『週刊文春 傑作ミステリーベスト10』 で8位。
2005年版 『この文庫がすごい!』 でのミステリー&エンターテイメント部門では1位に輝いた作品。

1位になるだけのことはあって、素直に面白かったです。
文章が非常に読みやすいですし、長くなりそうな内容を適度なボリュームに纏める構成力とか簡潔で良いです。
わたくしは、岡嶋作品を読むのは、『そして扉が閉ざされた』 に続いて2冊目です。
後期作品3部作のうち2作目を消化いたしました。
ちなみに 『そして扉が閉ざされた』 と比べると、明らかに本書の方が秀作だと思いますし、好きです。


あらすじは。。。
昭和43年、電子機器を取り扱う中小企業・イコマ電子工業は倒産の危機にあったが、社長の生駒は、工面した資金5000万円で再建を図ろうとしていた。
そんな矢先、生駒の息子が誘拐される。
誘拐犯が要求した身代金は、5000万円。
偶然とするには奇妙な金額の一致に訝しく思うものの、生駒は要求通り、身代金を誘拐犯に渡したことで、無事に息子を取り戻す。
しかし、その代償は大きく、自社は大手企業・リカード社に渡ってしまう。
数年後、失意のうちに生駒は誘拐事件における手記を残し病死する。。。
昭和63年、再び誘拐事件が発生する。
誘拐されたのは、イコマ電子工業を買収したリカード社の社長の息子。
しかも、誘拐犯が身代金の受渡人として指定したのは、生駒の息子・慎吾だった。。。


岡嶋作品といったら、 “誘拐もの” が有名らしいということで、どんなものかと楽しみに読みました。
というのも誘拐って、下手したら殺人よりも現実感ないですし、事件としてどうやって成立(成功)させるんだろうと興味がありますしね。
序盤は、生駒の手記と誘拐事件の顛末が挿入されており、それが本書のメインなのかと思いきや、ただの下準備(サブストーリー)だったことにはちょっと驚き。
つまり2つの誘拐事件が本書では描かれている。
贅沢な趣向だ。(笑)
メインの誘拐事件は、誘拐犯視点による倒叙形式で物語は進行します。
犯行の手口は、コンピューター技術を駆使したハイテク誘拐。(笑)
ただし、本書は1988年に刊行された作品であるため、携帯も無く、IT環境など若干の古さは否めないが、根本的なしくみ自体は、現在とそう大差がないので問題ない。
それよりも、ハイテク犯罪に対する警察の対応が悪すぎる。
当時、パソコンが家庭に普及している時代ですらなかったから、コンピューターやネットのIT知識がない読者のために、警察のアホっ面をさらす必要性があったのかもしれないですが。。。

誘拐というのは、犯人とって身代金の受け取る時が、警察に逮捕される危険性が最も高いため、現代では誘拐をする犯罪者は皆無です。
フィクションとしてはこの一番の山場をどんなトリックで驚かしてくれるのか。。。期待が高まります。
本書では、2つの誘拐事件があり、その手口は似ているのですが、それぞれ違う展開を見せくれます。
ローテクとハイテク、2つの誘拐事件は、誘拐の手口(トリック)はもちろんですが、その動機(心理)という点においても非常に興味深かったです。
あくまでもフィクションの世界ではであり、作品の内容をじっくり吟味すると現実的には不可能に近い。
個人的には、意外とローテク誘拐の方が現実的に思えますが。。。(笑)


誘拐のトリック自体よく練られていて良かったと思いますが、それよりも登場人物の、誘拐犯と被害者の人間ドラマの方が高得点でした。
しかしながら本書を読んだ方は、人間描写が希薄であると感じると思われます。
確かに、犯人が犯人として成り得るだけの深い楔がない。
そのせいで、残念なことに、深い人間描写が成功しているとは思えないのですが、犯人と被害者、両者の心理が、事件の動機と密接に結びついているだけに、着眼的は非常に良かったのではと思います。
ただ、本来であれば、両者の心理描写が、もっと深く暗いものになるはずなのだけれど、軽々しく表現されて映ってしまうことが本当に残念に思う。
『そして扉が閉ざされた』 を読んだときにも思ったのですが、一見すると、ミステリやサスペンス特有のゲーム性を主体に描いているようにみえるのですが、実は人間が持つ感情の暗い陰の部分の、ドラマ性を描いていることに気づく。
ただ、淡白過ぎで見せ方が下手なのかもしれない。
パフォーマンスの上手い東野圭吾あたりが描いていれば、日本人が好きそうなベタな感動ものに仕上げてくれそうだが。。。(笑)
個人的には、本書をドラマで是非見たいですね。
既に映像化されてるのかわかりませんが。

もうひとつ特筆すべきは、巻末の西澤保彦により解説が印象的だった。
















※ これ以降ネタバレしてます。










































誘拐事件のトリック自体は、実現可能か否かは別として、面白いと思いました。
ハイテク機器を活用した慎吾(犯人としての)の事件は、遠隔操作や、スキー場でのチェイス・シーンなど、物理的に不可能ですが。。。
これには、どうしても犯人である慎吾が “一人” で犯行を実現させなければならないという制限があるため、無理が生まれてしまうのですよね。
間宮と鷲尾が起こした誘拐事件であれば、意外と実現可能な気がしますよ。


わたくしは、誘拐事件の手口(トリック)を期待をして読んだのですが、意外だったのが、本書は、それをメインにした作品ではなかったということですね。
もちろんそのトリックは、ミステリらしい本格的なもので緻密に練られていて、それだけでも十分楽しめる。
ただそれよりも、犯人が自身の目的のために誘拐という手段を選んだ動機や、誘拐犯と被害者の心理に焦点が当てられている人間ドラマという印象を受けた。


イコマ電子工業の吸収合併に賛成だった二人の社員、間宮と鷲尾が企てた社長子息の誘拐。
この事件が全ての発端なわけです。
身代金の金額と、会社再建に工面した5000万円の奇妙な一致。
身代金を持ち運びに不便な金塊に指定したこと、その引き渡し役を名指しするという不可解さ。
いくつかの不審な点から、社長の生駒は息子を誘拐した犯人が、部下の間宮と鷲尾であることに確信していたと思います。
それを裏付けるかのように、身代金を海に投下するシーンで、生駒は二人に対して 「これでいいんだろうな」 という言葉をかけます。
最初は手筈はこれでいいのか、ということを二人に訪ねたのかと思っていたのですが、犯人に対してこれで息子は返すよう確認するためと、会社を合併することへの了承でもあったと考えると、作品の見方がかなり違ってくる。(´~`)
この時の、誘拐犯と被害者、お互いの息詰まるような心理状態を考えると、派手で、表立ったコンゲーム的な駆け引きで進んでいく誘拐劇にしてしまうよりも、水面下でひそかにやりとりされる本書の手法の方が、ゾクっとするスリルと怖さを味わえる。
誘拐犯と被害者、お互いが知りあうことのない思惑を、読者だけが知っているわけですから。

ただ、本当に恐ろしいのはここから。(笑)
誘拐事件後、生駒社長は仲間に裏切られ、会社を奪われ、夢を奪われ、さらに病魔にも襲われ余命いくばくとなる。
失意の中で彼が心血を注いだのが、慎吾誘拐事件の顛末を手記として残すこと。
それは遺書や記録としての役割があったのだが、真の意図は “復讐” を託す手紙。(O_O;)
息子の慎吾がその手紙を読むことは、復讐を誘導する洗脳に近いものを感じてとても怖かったです。
まるで映画、 『この子の七つのお祝いに』 じゃないですかっ。(笑)
人生の全てを奪われた男の感情があまりにもあっさりと描かれているのは、この手記と、それを読んだ息子の復讐劇で表現されているからかと思う。
残念なのが、手記には慎吾に復讐を託す直接的な表現はないし、誘拐事件後の生駒の苦悩もさほど描かれていない。
慎吾自体誘拐された当時の記憶も薄れている状態で、彼がリスクを犯してまで復讐を行う強い動機を持つかが疑問であること。
人物像に深みがないと思うのは、パーソナリティが不足しているせい。
間宮にしても同じです。
誘拐という犯罪を犯すだけの決定打がない。
客観的なデータを提示して、合併すべく説得を粘り強くアピールした方がどう考えても楽なんじゃと思えてならない。
人間性にしても、自己保身のために誘拐事件を起こした間宮は、復讐されるだけの徹底した悪じゃないし、慎吾も、父親の恨みを復讐に転じるだけの強い憎悪もを感じられない。
二人とも決して悪人ではないのだ、ただ手段を誤っただけで。
もうちょっと人物像を作りこんでいたら、それなりに感情移入もできるのだが。。。
息子に復讐を託そうとする父親の執念というか、強い遺恨だけは怖いくらいヒシヒシと伝わってきただけに悔やまれる。

もうひとつ、サスペンスという点において、絶望的にスリルが感じられないのも残念。
慎吾が犯人であるとわかった時点から、警察には捕まらないであろうと予想できてしまう安心感。
人質に逃げられそうになるとか、人質とのコンタクトで尻尾をつかまれそうになるといった危機感がない。
決定的なのが、犯人を特定できる、トリックを見抜けるいわば探偵役・間宮が、脛に傷持つ身の為、慎吾とともに絶対的な安全圏にいること。
などなど、もう、全くもってドキドキしないよ。(笑)
ある意味、犯罪者を描いたノアール小説だと思えばいいのか?


解説にもありましたが、本書の特徴が如実に表れているのが、犯罪者と被害者が共有する “孤独”
誘拐によって人生を狂わされた父親、誘拐という手段で復讐を成し遂げた息子、二人が抱え持った“孤独”。
父親の遺恨や苦悩を、あえて追体験(トレース)するという自虐的な方法で、犯行を実行する息子。
一種のヒロイズムであり、捻じれた父親に対する愛情なのか。
間宮と鷲尾が犯した犯罪は、殺人を犯したわけでもないし、自ら身代金を奪うこともなかった。
父親なき後の息子の成長にも多大な協力を惜しむこともなく、間宮にしてみれば罪を贖ったつもりでいたのかもしれない。
だが、それは犯罪者の勝手な論理であり、結果的には親子2代の人生を狂わせてしまうことになる。
慎吾の犯行により気づかされた間宮は、 「僕が間違っていたように、君も間違っている」 と語る。
本当の意味で、己の罪深さに気づかされた間宮の気持ちだったのだと思う。
犯罪者が何を言うかと思うところだが、間宮だからこそ言える言葉なのかも。


読了後、本書のタイトルが別な意味に思えて仕方なかった。
物語上、2つの誘拐事件は達成されている。
だから、 “100%の誘拐” でもいいんじゃないのと。
現実的に考えりゃ、99%も100%もさほど変わりない。
100%に満たない1%の意味は、慎吾の存在であり、間宮の存在でもあったということなのかなぁ。。。

















(  ゚_ゝ゚) { 『スペース・シャトルだって完璧に計算されている。それでも落ちる時には落ちるのだ。』 完全犯罪は無理か。。。









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